2008年06月08日

駿府に生まれシャム(タイ)で活躍した偉人 山田長政

今日、富厚里で「山田長政献茶慰霊祭」にいってきました。
そこで、ちょっと山田長政について調べてみました。

山田長政は、1588年、富厚里で生まれ、浅間神社近くの馬場町で育ったとされています。
1612年、23歳の時に、朱印船貿易で成功した商人たちの話に刺激を受け、自分も一旗あげようと、シャムに向いました。
そして、王都のあったアユタヤで暮らし始めます。アユタヤは当時、国際貿易で栄え、多くの日本人が住み着いていて、1000人から1500人の日本人が住む、日本人町がありました。
長政は武芸にも長け、さらに商売人としての才覚もあり、みるみるうちに日本人町の頭領にのしあがっていきました。
アユタヤ王朝は、王位継承の度に、権力争いがあり、また隣国のカンボジアやミャンマーとの戦争が絶えませんでした。
アユタヤに住み着いた日本人の多くは、日本での戦がなくなり、職にあぶれた浪人が多かったので、日本人は傭兵としてとりたてられていました。
長政は日本人傭兵部隊を率い、数々の手柄をたてています。
日本人傭兵部隊の隊長として、また日本との朱印船貿易の大仲買商人として大成功を収め、アユタヤ王の信頼を受け、最終的には、爵位を受け、王の側近(幕府でいったら老中職)にまでかけあがっていきます。
その後、王位継承の争いに関わり、六昆(現在のナコンシータマラート)に追いやられ、41歳の時、毒殺されたと言われています。

富厚里に生まれ、だいらぼうをかけめぐり、藁科川で泳ぎを鍛え、体力を培い、沼津藩で剣術や船舶の知識を身につけ、海外に雄飛し、異国の地で無念な死を遂げたということを聞くと、とても長政に興味を覚えます。

今年、タイでは、山田長政を題材にした歴史大作映画「サムライ ヤマダ」という映画が完成するそうです。
静岡の静かな集落ー富厚里が注目を浴びそうな気配です。



Posted by 耕作 at 23:52│Comments(0)歴史
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駿府に生まれシャム(タイ)で活躍した偉人 山田長政
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